hiroktsのブログ

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Accountableの解釈の誤りと自分事化、そして意思決定の明確なルールについて

Accountableの誤訳 

アジャイル系の本やスライド資料などを見たときに、一部でAccountableを「説明責任」と訳していると思いますが、Accountableは説明責任ではないはずです。
 
Accountableの英語の語感については以下の3つの記事が詳しいです。
 
 
これらの記事を合わせて読むと、Accountableの意味は
  •  「誰が責任を取るのか?」という時に使われる
  • 端的に言いかえると「落とし前をつける責任」である
    • 落とし前をつける = 引責辞任する、賠償金を支払う、 減俸、 懲戒処分とかをうける
新聞で、~の責任を取って辞任した、みたいな内容のときにはaccountableが使われるということみたいです。
なので、アジャイルとかの日本語の書籍や資料(スライドなんかも)で『説明』『説明する』ではなく、「説明責任」という言葉が出てきた場合は要注意。
本当はもっと、「落とし前をつける責任を持つ」「何かあったときに後始末を必ず請け負う」ということについて書かれていることが多いとおもいます。
エクストリームプログラミング第2版でも、「経営幹部は、XPチームに勇気、自信、『説明責任』を提供する」と書かれていますが、ここは『落とし前を付ける責任』と読み替えるほうが自然だと思います。
トヨタ生産方式に言及して、作業者を含めた全員が品質に責任を持つという話も書かれていますし、原文にもaccountableやaccountabilityについての記述があることは確かなのです。
(でも該当の記述の原文をちゃんと見たわけではないので間違っていたら申し訳ありません)
 

コーチングで使われるAccountableと自分事化について 

ビジネスコーチングを過去に受けたことがありますが、コーチはAccountableとVictimの対比でAccountableのことを説明されていました。

Accountableはほぼ「自分事化」「自己責任化」という態度で、Victimはその逆で「犠牲的」「主体的でない」「誰々のせいで私は~することができない」という態度という説明だったと思います。

当然ですが、Accountableになるほうが良いとアドバイスを受けました。

気を付けなければいけないと思っているのが、物事に対し自分が「誰々のせいで私は~することができない」という犠牲的な態度になっていないかということです。

本当にそうなのか?ということを考えてみることが自分事化だと思います。

Accountableと意思決定の明確なルールについて

 適切な意思決定プロセスとメンバとの良好な関係が築くことが一番大事、よく言われてることです。
特に意思決定のうまいやり方についてはすごく気になっていて、いろんなひとにチームや組織の意思決定をどうしているか、ということを質問したりしています。
 
上の真ん中の記事を結構前に見たのですが、久々に読み返していて、以下の内容が目に留まりました。

 

“Mike is responsible for holding Sally accountable. Tom is responsible for holding Mike accountable. I am responsible for holding Tom accountable.”
「マイクはサリーをアカウンタブルにしておく責任がある。トムはマイクをアカウンタブルにしておく責任がある。俺はトムをアカウンタブルにしておく責任がある。」

 
つまり、
「マイクはサリーに落とし前をつける責任を持たせる義務がある。トムはマイクに落とし前をつける責任を持たせる義務がある。俺はトムに落とし前をつける責任を持たせる義務がある。」
 
と、言い換えてもよいと思います。
 そこで、「これは意思決定の明確なルール作りにつながるのでは?」と思い至りました。
 『プロジェクトの進捗』や『プロダクトの品質』や『いきいきした仕事』についてaccountabillityを明確にさせておく、ということができていれば意思決定のルールをどう決めればよいかわかりやすいんじゃないかなと考えています。
自分の仕事の、「進捗やプロセス」「品質」「いきいきした仕事」に対してAccountableになりきれるように努力していきます。