hiroktsのブログ

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「けものフレンズ」がいい感じです

最近ちまたで人気の「けものフレンズ」というアニメについてです。

(ものすごく主観的な感想のため、内容に誤りや過大な評価がある可能性があります。また、見ていない人には意味不明な文章です。)


私自身は1話目の冒頭で脱落して、いったん離れたのですが3・4話目くらいからの評判を見聞きして、Dアニメストアなどを利用して1話目から見て追いつきました。
一言で感想を言うと、「癒されるアニメだなー」という感じです。

あの世界がなぜ自分にとって癒しとして捉えられているのか?

ある記事にこんなことが書かれていました。

「日本の企業はこう考えるからダメ。欧米のスタートアップはこう考えるから、そんなことにはならない」


「日本の企業」とひとくくりにする主語がでかい案件、といえばそうなんだけどそれを除いてもこの言い方はちょっと攻撃的です。

「俺(欧米のスタートアップ)」はイエス、「おまえ(日本の企業)」はノーという感じで論破を行うコミュニケーションになっています。
俗にいう『WIN-LOSE』の関係です。
こういう論破やマウンティングのコミュニケーションはちょっとだけど疲れます。

本来であればただしい「意識高い系」では「WIN-WIN」で「シナジー」を生み出すコミュニケーションをしなければなりません。


翻って、けものフレンズの世界ではどんなコミュニケーションでしょうか?

まずサーバルのように
「すっごーい。君は〜ができるんだね」

と始まってお互いのリスペクトできるところを承認するところが基本です。
さらに、ビーバーとプレーリードッグみたいに得意とするところで苦手を補いあうような「シナジー」を生み出すことをかばんちゃんが考えて実行します。

さらに、悪いところがあって直さなきゃいけないことを言うときでも、相手への承認(リスペクト)が前提にあるため、ディベートで言い負かすのではなく、弁証法的な正しい批評、つまり自分も相手も高め合うための批評を行うことになっているのです。

このようなコミュニケーションではお互いの心理的安全性は確保され、のびのびと能力が発揮できるでしょう。

こういうのって理想だな、と感じる人にとってはこのアニメは「癒し」と捉えられるんじゃないでしょうか?
オープニングにもある通り、「けものはいてものけものはいない」世界、すごいと思います。


現実の世界は、気づかないところで精神を摩耗してます。
たとえそれが良いことでも変化はストレスになる。
けものフレンズは30分見たはずなのに5分アニメ見たような読後感のある不思議なアニメ(この表現はある方のブコメの引用です)。
たぶん摩耗してるところにビビッドに優しい承認をきりこんでくるからじゃないかなと思います。